CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
SPONSORED LINKS
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |
一週間で二万字書いてやろう4

「最近この店、味が落ちたわね」
 大雨の中やっとの思いで買ってきたチェリータルトを、シオリはそう評した。評しながらも、二切れめをつかんで口に運んだ。皿もフォークも使わなかった。人魚の常識では、なんでも手づかみで食べるらしい。本人に確認したわけではないが、多分そうだ。
「あなたも食べなさいよ、ほら」
 手で直接つかんだタルトを押し付けてくる。仕方なしに付き合った。甘いものは嫌いではない。まさかバスルームで人魚と一緒にチェリータルトを食べる日が来るとは思いもしなかったけれども。
「で、それを食べたらシオリは出ていってくれるのかな」
 手渡された一切れを片付けて、質問した。
「出ていくって、どうやって?」
「どうって、それはこっちが聞きたいよ」
「あたし歩けないし。それに水がないと死んじゃうわよ」
「それなら、栞にもどって……」
「もどしかた知ってるの?」
「シオリは知ってるだろう?」
「知らないわよ、そんなの」
 知ってるはずがないじゃない、とでも付け加えそうな口調だった。僕はしばらく考え込んだ。シオリは何事もなかったかのようにタルトを頬張っている。ナイフのような銀色に輝いていた瞳はいつのまにか鮮やかなエメラルド色になって、頬にはえくぼが浮いていた。栞から出てきたときには、それこそ殺されるのではないかと思ったほどだったが。腹をすかせていたせいだったのかもしれない。
「あー。ということはつまり、シオリはここから動けないってこと?」
「そういうことになるわね。まぁしばらくお世話になるわ。よろしくね」
 シオリは芝居がかった調子で片目を閉じてみせた。やけに楽しそうだったが、こっちはそれどころではなかった。
「ちょっと待った。困るよ、それは」
「何が困るの? こんなイイ女、滅多にいないわよ」
「人間じゃないだろ、キミは」
「ひどいわねぇ。ただちょっと足がヘンな形してるだけよ」
「ちょっとどころじゃないだろう」
 論点がずれているような気がした。これは、足がどうこうの問題ではなかった。
「あたしがいると、何が困るわけ? 言ってみてよ」
「とりあえず、風呂に入れない」
「一緒に入ればいいじゃない。背中流してあげるからさ」
「そんな狭い風呂に二人で入れるわけないだろ」
「それもそうね。じゃあ、ケンジがバスタブ使ってる間は洗い場に出てるから。シャワー浴びてれば平気だし。他には何か困ることある?」
「他には……」
 考えてしまった。確かに、シオリがバスタブに住んでいても困ることは特にない。この世界の物理法則に対して不徳を働いているような気分にはなるが。──いや、一つあった。
「食費はどうするんだ」
 ずいぶんと所帯じみた話だと思った。
「貸しておいてよ」
「返す気はないんだろ?」
「うん」
「やっぱり出ていってくれないかな」
「しょうがないわねぇ。それじゃ、いいこと教えてあげる。……人魚の涙が何になるか知ってる? 真珠よ、真珠。パール。わかる?」
 反射的に、詐欺だと思った。たぶん、誰でもそう思う。
「実際に一つ作ってみせてほしいな」
「何もないのに泣けないわよ、普通」
 彼女の口から「普通」なんていう言葉が出てくるとは思わなかった。
「どうすれば泣いてくれる?」
「素敵な音楽を聴いたりすると泣けるわね。そういえば部屋にギターがあったけど、弾けるの?」
「まぁ、そこそこは」
「弾いてみてよ。もしかしたら泣けるかもしれないから」
 言われるまま、マーティンを取ってきた。自慢のギターだ。安くない。大学に入ったとき記念に買った愛器だ。ネックに焼酎がこぼれていたので、拭き取った。洗い場に腰を降ろして、斜めに構えた。自信はなかったが、ものはためしだ。
「あぁ、イエスタデイじゃ泣けないわ」
 三つほど音を出しただけで、宣告された。まるでイントロクイズだ。指の位置を変えて、次を試してみた。
「スタンドバイミー? ケンジはそれで泣けるの?」
 ひどい言われようだった。ヤケになって神田川を弾いてみると、涙を流さんばかりの勢いで笑われた。そうか、その手があったかもしれない。しかし僕の信念がそれを許さなかったので、バラードを弾きつづけた。思いつく限りの曲を演奏してみては、ことごとく三秒以内に落選を告げられた。二十曲ほど試してみて、あきらめた。
「まさか、世界中の曲を知ってるんじゃないだろうね」
「そんなことないけど。ケンジがありきたりの古臭い曲しかやらないからよ」
 せめて古典的な曲と言ってほしかったが、もはやどうでもよかった。僕はギターを置いた。すると、シオリがギターを指差した。その指を曲げて、こっちへよこせという具合に合図した。
「濡らさないようにしてくれよ」
 注意して渡した。シオリはものも言わずに受け取ると、やおら体勢を変えて仰向けにギターを抱えた。その途端、圧縮された音符の塊がほとばしりだした。聴いたこともない曲だった。左右五本の指が、それぞれ独立して動いている。曲自体は決して速くない。ただ、ありえないほどの密度で音が詰まっているのだ。人間に演奏できる曲ではなかった。三分強、僕は息をすることも忘れてシオリの演奏を見つめていた。世界中のギタリストにこれを見せてやりたいと思った。
「せめて、これぐらいやってくれないとね」
 最後にギターのボディを軽く叩いて、シオリはそう言った。
「そのギター、どこで覚えたの?」
「覚えたんじゃないわ。最初から知ってたの」
「最初って。生まれたときから?」
「そう」
 羨ましい話だ。彼女ぐらいギターが弾ければ、それで生活していくこともできるだろう。実際、そうしているのかもしれない。
「よし、それじゃこうしよう。僕にギターを教えてくれ。そうしたらうちに住んでいい」
「そんなのでいいの? 変わってるわねぇ、あなた。もっといろんなことしてあげるのに」
 言いながら、シオリは胸を強調するように腕を組んだ。
 想像しないことにした。だいいち、シオリは僕の好みのタイプではない。友人として接する方が無難だ。それに、自信もなかった。色々な点で。僕は焼酎を持ってきて、湯飲み茶碗を二つ置いた。
「飲めるんだろう?」
「焼酎かぁ。ラムかテキーラはないの?」
「ないよ、そんなの」
「ま、アルコールが入ってればなんでもいいけど」
 シオリは一升瓶からそのまま飲んだ。茶碗は使わなかった。どうやら人魚の世界には皿もフォークも茶碗もないようだった。どういう食事風景なのだろう。想像してみて、ちょっとおかしくなった。
 十秒後、僕はラムを買いに出ることになっていた。雨の勢いは変わりなかった。ずいぶん高いレッスン料になりそうだった。




 ──以上、10243/20000
| Text | 19:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
一週間で二万字書いてやろう3

 結局、バスタブに水を張ってやることで「みず」問題は解決した。根本的な問題は何一つ解決していないのではあるけれども。とにもかくにも話を聞くことにした。
「あー。キミは人魚……だよね」
 我ながらマヌケな質問をしたと思った。
「人魚以外の何に見えるっていうの?」
 見かけとは裏腹に、乱暴な答えが返ってきた。声は綺麗だったが、どことなく皮肉っぽい響きがあった。
「キミはどうしてあんな本に、いや栞に。あぁ、いやその前に、どうして人魚が古本屋に……。いや、それはどうでもいいのか。そうじゃなくて、えーと、人魚って本当にいたんだ」
「なに言ってるのかわからないわよ。少し落ち着きなさい。ほら、深呼吸」
 彼女の腕が伸びてきて、僕の肩を叩いた。バスタブのへりに肘をつく姿勢なので、胸が丸見えだ。そういうことは気にしない性格らしい。改めてよく見てみると、案外小さい。Cカップぐらいだろうか。いや、Dはあるかもしれない。──馬鹿なことを考えている場合ではなかった。三回ほど深呼吸して、質問を始めた。
「どうしてキミは栞なんかになってたの?」
「その前に名前を訊きなさいよ。『キミ』じゃやりにくいでしょ」
「あ、あぁ。じゃあ名前は?」
「先に名乗るのが人間の世界の礼儀じゃないの?」
 キミは人魚だろうと言ってやりたかったが、意味がないのでやめた。
「僕は山本」
「ヤマモト? 冴えない名前ねぇ。下の名前は?」
「健二」
「つくづく冴えない名前ね」
 彼女は欧米人のように両手を広げて肩をすくめた。失礼な話だ。確かにありきたりな名前ではあるが。僕の責任ではない。それに、「冴える」名前というのは、どういう名前だろう。伊集院とか西園寺とか、そういう名前だろうか。──我ながら貧困な発想だ。
「……で、キミの名前は?」
「あたしはシオリ」
 ジョークだろうか。だとしたら、ちっとも笑えなかった。
「で、どうしてシオリは栞なんかに……」
 名前を聞いたら余計にやりにくくなった。
「だって、あたしシオリだもん。普通でしょ」
「普通っていうか何ていうか……」
 人魚の世界ではそうなのかもしれない。しかし僕は人間だ。両者の世界にはかなりの断絶があるようだった。言葉が通じるだけ良かったと思うしかない。これで言葉が通じなかったらお手上げだ。通じても十分にお手上げだったが。
「紙切れが人魚になったことが、そんなに不思議なの?」
 シオリが言った。それはもちろん不思議だ。しかし、最大の疑問はそんなところにはなかった。いま僕の目の前で口をきいている彼女は、その存在が何から何まで常識に反していた。
「キミは……」
 何か訊こうとしたものの、何から訊けばいいかわからなかった。これがコンパなら、年齢や血液型を訊くところだ。ヤケになって、年齢を訊いてみた。
「覚えてない」
 そういう答えが返ってきた。
「血液型は?」
「AB」
「それはわかるんだ」
「当たり前じゃない。わからなかったら事故にあったときとか大変でしょ」
 バカじゃないの、とでもいわんばかりだった。やはり質問を間違えたようだ。気を取り直して、尋問を続けることにした。
「シオリはどこの出身?」
 これはいい質問だろう。
「江戸川」
「江戸川か。僕もその辺りで育ったんだ。千葉県側の市川市だったんだけど。よく河川敷を散歩したよ」
「なにか勘違いしてない? 川じゃなくて製紙工場なんだけど」
「製紙工場?」
「江戸川区の製紙工場」
 何でもないことのようにシオリは言った。つまり、こういうことだろうか。人魚が栞に化けていたのではなく、栞が人魚に化けていたのだと。どちらにしても異常であることに変わりはないが、なんとなく印象が違う──ような気がする。
「でも普通の栞は人魚にならないよね」
「そりゃそうでしょ。そんなことになったら本屋は人魚でいっぱいじゃない」
「うん、まぁそのとおりなんだけど」
 どうにも会話が噛みあわなかった。
「そうだ。水はこのままでいいのかな」
「もう少し冷たいほうがいいけど、特に問題ないわ」
「そうじゃなくて。塩とか入れたほうがいいのかと思ったんだ」
「いらないわよ、塩なんて。あたし、海の人魚じゃないもの。それよりケンジ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「な、なに?」
 動揺した。女性に「ケンジ」などと呼ばれるのは久しぶりのことだった。どうかすると、二年前に帰省した折り母親に呼ばれたのが最後だったかもしれない。
「あたし、おなかすいてるんだけど。何か買ってきてよ」
「何を買えばいい? エビとかカニとか?」
「あたしをタコか何かだと思ってる?」
「いや、そういうつもりじゃ……」
「今は甘いものが食べたい気分ね」
「水羊羹ならあるけど」
「はぁ……。この街の人って、みんなそうなのよね。羊羹だの大福だの……。駅前に一軒だけケーキショップがあるでしょ。テリアっていうお店。そこでチェリータルト買ってきてよ。今の季節ならあるでしょ」
 人魚とは思えない発言だった。まるきり地元民だ。いや、実際地元民なのだろう。僕より詳しい。何年この街に住んでいるのだろう。そう訊いてみた。
「さぁ。覚える必要のないことは忘れるようにしてるの」
「それは必要なことだと思うけど」
「必要かどうかは自分で決めるから。それより早く買ってきてよ。もうおなか減って死にそう」
 シオリは大袈裟に腹を抱えた。いかにも演技だったが、とりあえず従うことにした。その前に、無駄だと思うが一応訊いておこう。
「お金は?」
「ごちそうさま」
 やっぱりだ。でも、もう少し頑張ろう。
「僕は貧乏学生なんだけどな。なにしろ財布には三千円しか入ってない」
「あたしは一円も持ってないの。チェリータルトは千八百円だから大丈夫」
「貸しってことにしておいていいかな」
「いいわよ。返す機会はないと思うけど」
 そこまで開き直られてはどうしようもなかった。あきらめて買ってくることにした。
「あ、それと紅茶も忘れないでね」
 アパートを出るまぎわ、追加注文が飛んできた。生返事を返して外へ出た。雨は土砂降りになっていた。ひどい夜になりそうだった。




   ──以上、7549/20000
| Text | 00:13 | comments(1) | trackbacks(0) |
一週間で二万字書いてやろう2
 水羊羹を買ってアパートに帰り、シャワーを浴びた。とうに日が暮れていたので、焼酎を飲むことにした。アルコールには強いほうだ。本格的に飲むと、一晩で一升瓶がカラになる。残念なことにあまり裕福ではないので、毎日は飲めない。週末以外は飲まないようにしている。
 湯飲み茶碗に安物の焼酎を注いで、水羊羹を肴にやりはじめた。古本屋で買ってきた『人魚』を手に取って、ぼんやりと眺めてみる。改めて確かめると、やはり変わった本だ。題名以外なにも書かれていない本など、一体どこにあるだろうか。よほどの物好きが作ったものに違いない。それを買ってしまった僕自身も相当に物好きではあるけれども。
 表紙を開くと、青一色に塗りつぶされたページが出てくる。──はずだった。出てきた最初のページは黒一色だった。いや、わずかに青みが残っている。よく見なければそうとわからないほどだったが。どうやら、ただの紙ではなかったようだ。何らかの条件で──おそらく光の加減で、色合いが変わるのだろう。そう思って電灯に近付けたり角度を変えて覗いてみたりしたが、うまくいかなかった。そう簡単なことではないのだろうか。
 二ページめも三ページめも同じだった。古書店で見たとき鮮やかな青だった紙面は、墨を流したように真っ黒だった。四ページめを見ると、白い紙片が挟まっていた。おや、と思った。たしか、この栞は本の中ほどに挟んでおいたはずだった。栞が二枚挟んであるのかと思ったが、その考えはすぐに打ち消された。右肩の角が小さく折れ曲がっていたのだ。確かに古書店で手に取ったものに違いなかった。事実、『人魚』の中からそれ以外の紙片は出てこなかった。これはどういうことだろう。もう酔ったのだろうか。
 焼酎を右手に、『人魚』を左手に。一つの見落としもないよう、一枚ずつページをめくっていった。何も書かれていない本の中からどこかのページに何か変化がないかと探すその作業は、ヘタな小説を読むより面白かった。
 しかし、結果はというと骨折り損だった。『人魚』のどこからどこまでも、背表紙に縫い込まれた二文字の題名以外に書かれているものは何もなかった。正真正銘、これは白紙の束だった。正確には白紙ではなく黒紙だった。僕は腕組みして考えた。つまり、こういうことだろうか。三百円損した、と。
 馬鹿馬鹿しくなって『人魚』を机に放り出した。そのとき、隣室の住人が帰宅する音が聞こえた。安アパートであるから、壁は薄い。隣室の音は丸聞こえだ。さいわいなことに僕の部屋は角部屋なので、隣室は一つしかない。ところが、この隣人がかなりの遊び人で、とっかえひっかえ女を連れ込んでは良からぬ行為に及んでいる。あまり女性に縁のない身としてはつらい。
 そういう次第で、隣室から女の声が聞こえてくるような夜にはギターを弾いてやることにしている。日曜日の夜には、そういうことが多い。腕は良くないが、それはそれで構わない。だいいち、腕が良かったら仕返しにならない。
 この夜もまた、部屋の隅に立ててあったマーティンを持ってきてやり始めることになった。いいかげんに酔っ払っているので、チューニングは気にしない。何を弾くかと考えて、まずは指ならしにチャック・ベリーを弾いた。アルコールが入ると弾きたくなる曲だ。ジョニー・B・グッド。
 最後までやり終えて、どこにもいない観客のためにキメのポーズをとってみせると、ギターのネックが茶碗をひっくり返した。だいぶ入っていたようで、あっというまに畳は焼酎まみれだ。慌てて立ち上がると、足元がよろけた。もともと血圧が低いのと酔っ払っているのと、両方が原因だった。バランスを崩して机に寄りかかると、今度はその拍子に本が落ちた。買ったばかりの『人魚』は、あわれ焼酎の海に落下した。あろうことか、ページを開いた状態で。
 僕は頭を抱えた。大きく溜め息をついて、本を拾い上げた。布張りの表紙は無事だったが、中ほどのページは焼酎を吸って、やや変色していた。──と。不意に、ビシャッと水音が聞こえた。こぼれた焼酎の中からだった。そこに栞が落ちていた。なにやら魚の尾びれのようなものがのぞいている。いや、のぞいているなどというものではない。はっきりと、まちがいなく、たしかに、栞の端から魚のヒレが伸びているのだ。かなりの大きさだった。マグロかカツオぐらいのサイズはありそうなそれが、もう一度焼酎を叩いた。盛大な音をたてて、しぶきが飛び散った。
 これはいよいよ頭がおかしくなったかと思っていると、次には栞から腕が出てきた。生白くほっそりとした、紛れもない女性の腕だった。その腕が苦しげに畳を引っ掻いたかと見えると、どこからか「みず」という声が聞こえた。女の声だった。
 何をどうすればいいのか、見当もつかなかった。警察を呼ぶべきか、友人に相談すべきか、病院に行くべきか。どれも正しいような気がしたが、とりあえずは水を持ってくることにした。台所からマグカップに水を注いで、恐る恐る栞の上にかけた。勢いよく、栞が跳ね上がった。まるで、陸に打ちあげられた魚だった。跳ね上がった栞から、尾びれと右腕に続いて左腕が出てきた。水はまったく畳の上に広がらなかった。一滴残らず、栞が吸い取ったのだった。再びどこかから「みず」というのが聞こえてきた。
 台所に引き返して、今度はヤカンいっぱいに水を持ってきた。それを全て栞に吸い取らせた。二本の腕の間から、紙のように白い背中が出てきた。右の肩口に大きい切り傷があるのが見えた。なまめかしく浮き上がった腰骨の辺りから下は、青黒いウロコに覆われていた。更に水を持ってきてかけてやると、首筋から亜麻色の髪が出てきた。形のいい乳房が現れて、最後に石像彫刻のように深い影の中から二つの瞳が僕を睨んだ。銀色に光る双眸が、刃物にも似た鋭さで心臓に切り込んできた。人間の瞳ではなかった。一瞬、呼吸が止まった。怖いほどの美貌だった。血を啜ったように赤い唇が「みず」と呟いた。
 僕は更に水を汲んできた。すると彼女の腕がまっすぐに伸びて、ヤカンをひったくった。もう一方の手が長い髪をかきあげて、滑らかなうなじをあらわにした。白磁のような喉が上を向いて、ヤカンの口をくわえたかと見えるや、彼女はたちまち中身を飲み干してしまった。そして再び「みず」と言った。
 僕はヤカンを持って台所に走りながら、まるで火災現場だな、などと考えていた。生まれてこのかた火事に出くわしたことはなかったが。どうやら、少し冷静になってきたようだった。四杯めのヤカンを持って帰ると、彼女は先刻と同じく乱暴にひったくって頭からかぶった。吸い取ってくれると思ったところが、水はそのまま畳の上にまきちらされた。僕は思わず悲鳴をあげた。彼女は「みず」と繰り返しただけだった。




   ──5162/20000
| Text | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
一週間で二万字書いてやろう1
 仮題『人魚』 第一景



 六月の日曜日。午後になって雨が降ったので、街へ出かけることにした。
 街といっても都心から離れた私鉄沿線の門前町だから、新宿や渋谷のようにはいかない。駅前にはデパートとは名ばかりの薄汚れたビルが一つだけポツンと建ち、窮屈なバスロータリーに並ぶのはくたびれた老人の姿ばかり。木造家屋の目立つ商店街は寂れ果てて活気のかけらもなく、門前町ゆえにやたらと多い仏具店が街の景観をいっそう鄙びたものにしている。良く言っても悪く言っても時代遅れの、そんな街だ。
 僕はこの街が大好きだ。駅前の目抜き通りを歩きながら雨に煙る古めかしい街並みを眺めていると、まるで半世紀も昔の日本に行ったような気分になる。我ながら若者らしくない懐古趣味だと思うが、そういう性格なので仕方ない。
 今日の外出には、しかし雨の風景を楽しむ以外にも目的があった。商店街の外れにある和菓子屋へ行くのだ。その店では雨の日に限って全商品一割引という、じつにありがたいサービスを実施している。甘いもの好きの僕には見逃せなかった。
 アパートから菓子屋までは、歩いて十五分ほどの距離だ。普段は自転車を使うのだが、雨の降っている日は歩くしかない。百円のビニール傘をさして、老人ばかりの周囲の歩調に合わせながら、のんびりと商店街を眺めて歩いた。
 海の近いこの街では、南から吹く風には潮の匂いが混じる。雨の降る日にはその匂いも強くなって、街全体に染み付いた抹香の匂いと絡み合い、一種郷愁を誘うような独特の香りになる。今までに五回ほど転居して海の近くに住んだことも何度かあったが、この街を満たす潮と抹香の匂いは他のどこにもないものだった。
 ふと足が止まった。古本屋の前だった。いつでも軒先で香を焚いている仏具店の、斜向かいの位置。かなり古い店だ。木造の壁は白く粉を吹いて変色し、引き戸の磨りガラスはヒビだらけで、廃屋のようなありさまだ。そもそもそれが磨りガラスなのかどうかも怪しいほどだった。古めかしい商店ばかりのこの街でも、ちょっと見かけないほど年代物の家屋だった。看板は出ていなかったが、磨りガラスの向こうに本棚が並んでいるのが見て取れた。
 こんな所に古本屋があったかなと思い出してみると、いつもは閉じられている店のシャッターが今日は開けられているというだけのことだった。この街に住むようになって三年間で一度も開いているのを見たことがない古本屋のシャッターが開かれているというのも、滅多とあるものではない。急ぐ足でもなし、と僕は古本屋の引き戸を開けた。まともには動くまいと思って力を込めたところが、引き戸は驚くほどすんなり滑って、とたんに古本屋独特の紙の匂いが鼻を打った。僕は愛書家というほどではないにしても、本を読むのは好きなほうだ。古くなった紙の匂いは、不思議と心を落ち着かせてくれる。
 三十坪ばかりの狭い店内には新書に文庫本、選集や雑誌、漫画本まで丁寧に整理されて揃えられていたが、目を引くものは見当たらなかった。これだけ古い店なのだから稀覯本もさぞかし豊富に違いないという推測は、あっさり破られた。見掛け倒しかと毒づいて店を出ようとしたとき、棚の一角に目が吸い寄せられた。海外作家の文庫本がまとめられた棚の隅に、見たことのないような背表紙の文庫があったのだ。僕は半ば無意識のうちに手を伸ばしていた。
 手に取ってみると、それは変わった代物だった。大きさは文庫本ほどしかないくせに、羅紗のような手触りの布張りがされた豪華な装丁。厚みは標準的な辞書ほどもあってズッシリと重く、ほとんど文庫本としての体裁をなしていない。それより何より奇妙なのが作者名はおろか出版社名も記されていないことで、薄青色の布張りの背表紙に『人魚』と銀糸で縫い込まれているだけなのだ。おまけに表紙をめくってみると紙面は青一色で文字一つ印刷されておらず、次のページを繰っても、更にその次のページを繰っても、人魚はおろかイロハのイの字すら出てこないのだった。さては落丁本かと思ったが、それにしてもこんな落丁があるものだろうか。考えられなかった。
 どこかに何か書かれていないかとページを繰るうち、白い紙片が出てきた。どこにでもあるような紙切れだ。角が少し折れている。値段でも書いてあるかと思って抜き出してみたが、何も書かれてはいなかった。どうやら、ただの栞らしい。元の位置に戻して、店の奥に向かった。
 店主は、頑固という言葉を絵に描いたような初老の男だった。カウンターにどっしりと腰を下ろして、なにやら分厚いブンガク書のような物を読んでいる。僕の存在に気付いているのかいないのか、本に目を落としたまま微動だにしない。あまり商売をする気はなさそうだった。
「あの」
 手に持っていた本をカウンターに置いて、声をかけた。
「ん?」
 それが店主の対応だった。いらっしゃいませという言葉は、どこからも出てこなかった。面倒臭そうにこちらへ向けた銀縁眼鏡の向こうの目は、早く手元の本の続きを読ませろと訴えているようだった。
「この本、値札が付いてないんですが」
「あぁ」
 店主は、右手でカウンターの端を指差した。そこに一枚の張り紙があった。藁半紙に毛筆で、こう書かれていた。値札のない本一律三百円。
「三百円でいいんですか?」
 いくら版元不明の代物とはいえ、これだけ立派な作りの本だ。三百円では安すぎるのではなかろうか。だからといって三万円などと言われても困るが、いくらなんでも三百円ということはないだろう。僕が値札を見落としたという可能性だってあるのだ。
 しかし、店主の返答は「あぁ」という一言だけだった。口を開くと金を取られるとでも思っているのだろうか。それとも、何かの宗教かもしれない。雨の日には他人と口をきいてはいけないとかいう教えがあるのだ、きっと。まぁ、他人のプライバシーには立ち入るまい。ともかく僕は三百円を払って、その本を手に入れたのだった。

| Text | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
名作のタイトルを適当にくっつけろ

 創作文芸板「名作のタイトルをテキトーにくっつけろ」スレより傑作選および寸評。
 映画板やゲーム板でもこんなスレばっか見てるな、オレ……。


『河童は人間失格』
 いや、そりゃそうだろ。

『武器よこんにちは』
 昨今の世界情勢を言い表したがごとき一作。

『吾輩の歌を聴け』
 酔っ払った上司がマイクを離さなさい図。

『”It”(それ)と呼ばれたIT革命』
 森首相の名言。

『犬食う人びと』
 韓国人ニダ?

『ロシアから贈られたチャタレイ夫人を猛スピードで吾輩は』
 カラオケに連れて行ったんだろうな。

『なんとなくインストール』
 OS不安定になりますよ。

『チャタレイ夫人と赤毛のアンは80日間できていた』
 同性愛?

『かけそばの達人』
 何がどのように達人なのか。

『文字をかける少女』
 うん、まぁ普通書けるよな、みたいな。

『声に出して読みたい我が闘争』
 公安に引っ張られます。

『吾輩にベイビーができていた』
 おめでとうございます。

『アルジャーノンは猫である』
 いや、ネズミだし。
| Text | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) |
<< | 2/2PAGES |